司法に対する疑問

 『冤罪と戦うやすこを応援する会』では、永末さんの事件を通してたくさんの司法に対する疑問を感じました。

 日本の刑事司法は、捜査機関が捜査したものを、検察官が起訴し裁判が行われます。

 裁判では、検察官が立証責任を負っており、裁判所は真実追求の姿勢をもって証拠に基づいて判断を行います。

 永末さんが罪に問われている『贈賄罪』は、公務員などに対し何らかの便宜を図ってもらうべく利益供与する犯罪です。

 彼女が何の便宜を図ってもらうために、どのような手段で賄賂としてパソコンをあげたのかについて 

 「捜査や取調べが正しく行われたのか?」

 「検察官は立証責任を果たしたのか?」 

 「裁判所は真実追求の姿勢をもっていたのか?」

など、いくつもの疑問を感じました。

 

 ◎捜査や取調べが正しく行われたのか?

 永末さんらは捜査当初から「通常の取引として納入したものを元職員が持ち出した」と主張していました。

 しかし裁判に出廷した捜査員の証言から、捜査が「贈収賄」の見立てでしか行われず、「元職員が持ち出した」つまり「横領」の可能性を全く検討していなかったことが明らかとなっています。

 何故、捜査は「贈収賄」でしか行われなかったのでしょうか?

 永末さんらの逮捕当時、警察庁から全国の警察本部に贈収賄罪の摘発に力を入れるよう指示されています。福岡県警捜査二課が今回の事件に浮き足立っていなかったといえるのでしょうか。

 取調べも苛酷なものでした。任意聴取は朝7時から夜11時近くまで行われ、自白調書が作られています。

 逮捕後、否認に転じさらに厳しさが増しています。自白の強要が行われただけでなく、明らかに事実と違う調書や一見して自白とは分からない調書などが作成されました。

 また、取調べが苛酷だったのは永末さんだけではありません。

 一緒に逮捕された部長や、彼女の父親、そして彼女の会社の同僚達に対しても厳しいものでした。同僚の中には「誰でもいいから永末を助けるため、元職員宅へパソコンを持っていったと証言しろ」といった嘘の自白を強要する取調べも行われています。

 

◎検察は立証責任を果たしたのか?

 検察が立証の柱としたのは元職員の公判供述です。

 この事件では、「パソコンが元職員やその家族宅にあったこと」や「パソコンが契約書に記載されていないこと」などの基本的事実について争いがありません。

 この争いのない事実と元職員の供述が一致するというだけで、本当に立証責任を果たしたと言えるのでしょうか?

 争点となっていたそれ以外の事実についてや、永末さんの証言や弁護側主張についての反証がほとんど行われなかったことはいうまでもありません。

  

裁判所は真実追求の姿勢をもっていたのか?

 永末さんを『有罪』とした一審二審の判決では、正しく捜査が行われたかや検察官立証に対する言及はありませんでした。しかし、永末さんらの自白調書を証拠として採用していません。捜査に問題があったことを裁判所は認識していたといえます。

 

 判決理由の大部分は、「元職員の供述が信用できる」と認定しました。

 永末さんらに対し、元職員は対向犯(共犯者)の関係にあります。共犯者供述は冤罪を引き起こす「危険な証拠」とされており、慎重に検討する必要があります。

 しかし判決では、贈収賄事件では重要な「パソコンの受取場所」の供述変遷も、「犯行日から2年以上経過しており、記憶が曖昧なこともある」として問題にしませんでした。

 また「既に元職員の有罪判決が確定していること」も、元職員の証言が信用できる理由としています。元職員の有罪判決が先に確定したのは、制度上の理由に過ぎません。これを理由に元職員の供述が信用できると判断することは、市民的常識からは考えられないことです。

 裁判所は「元職員の供述を慎重に検討した」といえるのでしょうか?

 

  検察の立証で賄賂を渡す動機とされた「複数年契約」も、福岡市の条例改正に伴った賃貸借契約書の書式変更にすぎないものでした。「複数年契約」を贈賄の動機と見立てたこと自体、捜査官の思い込みで作り出されたものといえます。

 判決では「複数年契約が有利であるかは明らかでなく認定できない」としましたが、「契約を続けてもらうためという趣旨で十分」と判断しました。この判断は、「官公庁と取引を希望する業者は賄賂を渡す動機がある」という偏見ともいえる先入観を裁判官が持っているといえるのではないでしょうか?

 

  その他に、賄賂とされたパソコンが「契約書に型式が記載されていない」「スペックが高かったことや外観が花柄模様だった」「保証書がない」などの客観的事実から「賄賂である」と認定しました。これらの事実は、永末さんに賄賂の認識があったことを推認できるものではありません。

 「契約書の記載の書換えが市側担当者の依頼で行われることは時々あった」「ロボスクエアの事業内容(先端技術の展示等)を鑑みれば、スペックや外観に違和感を感じることはない」「保証書がなくても保守は可能である」と証言した永末さんの主張は無視されました。

 さらに永末さんたちが主張していた「賄賂性を否定する事実」、賄賂といわれるパソコンの取得費用を福岡市が負担していること、証拠隠滅の行為がないこと、贈賄をする動機がないことなどについて、裁判所が検討を行うことはありませんでした。

 

 永末さんらの主張がほとんど検討されず、業務内容や業界背景、仕事に対する考え方を全く理解していない裁判所の判断は、「真実追究の姿勢をもっていた」とは到底思えません。私たちの市民感覚からかけ離れたところで判断がなされたことに、司法に対する危機感を覚えます。このような司法のあり方は、通常の社会生活を営む私たちにとっても、司法に対する恐怖と不信感を募らせるものです。