発起人の思い

 この事件はとてもシンプル、やすこさんは無罪です!

 無実の罪を延々と追求され200日にもわたって拘留された永末さん。

 保釈されたときの心身ともに衰弱しきった彼女の姿は一生忘れることができません。まともに歩くこともできず話したいことがありすぎて涙を流すことができない友人の姿が2年を経た今でも鮮明に思い出されます。

 彼女に少しでもやましい気持ちがあれば200日にもわたる勾留に耐えられるはずがありません。そして逮捕・起訴から約900日・・、人生の貴重な時間をお金を割いて彼女は戦い続けています。

 今回、冤罪で戦う友人の姿を通して見えたものは日本の歪んだ司法制度やあからさまな嘘や証拠無視などで我が物顔に物事をすすめる警察や検察の姿でした。

 特筆するには

◆巨額の架空取引事件の犯人でありあらゆる嘘をついている犯人の証言が認められ、永末さんの主張や無罪である事実を証明する証拠を全て無視して裁判がすすめられたこと。

◆「後で書き換えができるから」、「君のためだから」など嘘を並べ立てて調書にサインをさせた警察の一般人を欺く行為。(これこそ立派な犯罪行為!)

無実の一般人を犯罪者にしたてあげる警察や検察、正しいことを正しいと判断しない裁判官、現状の司法制度の異常ともいえる慣習にがんじがらめになっている司法関係者の方々etc・・・

 普通に仕事をして生活していた一般のOLを突然逮捕・拘留して有罪に仕立て上げる警察や検察の行為こそが犯罪であり、罪を認め謝罪し償うべきではないでしょうか。

 以前は「警察は市民の安全を守ってくれるもの」と思っていましたが、この事件をきっかけに認識が大きく変わりました。「警察は自己の建前や点数稼ぎのために一般の善良な市民さえも犯罪者に仕立て上げる組織である」、これが私の認識です。いつ私自身が逮捕され犯罪者にしたてあげられて命を奪われてもおかしくない社会なのだと思うと恐ろしくてしかたありません。

 私には6歳になる娘がいますが、娘が過ごすこれからの社会をつくるのは今を生きる私たちであると感じています。どうか、正しいことを正しいといえる社会であってほしい、だれかを陥れようとする人を裁く社会であってほしい、真実を真実として受け止める社会であってほしいと切に願っています。

(2013.3.31 発起人 トモ)

 

「冤罪」と言ってしまえば一言ですが、その言葉の背景にあるものはとても辛く悲しいものです。彼女は約7カ月にも渡る勾留で精神的・肉体的自由を奪われました。今、人生の貴重な3年あまりを裁判に費やしています。13年間続けていた仕事も失い、社会的な不名誉を被りました。その他、失ったものは図り知れません。

 

 1審で有罪判決が出た時は驚愕しました。長い時間をかけて、何を審議してきたのかと裁判所に憤りを感じました。でも、次こそは真実が認められるはずと希望も持っていました。警察や検察が過ちを起こしたとしても裁判所がそれを正す役目を担っているはずだし、裁判官が公正な判断を下してくれさえすれば、彼女の身の潔白は明らかになると信じていたからです。

ところが2審においても彼女の真実の声が裁判所に届くことはなかったのです!この時はなんとも言えない恐怖が心の底からこみ上げてきました。無実であるにも関わらず、今のまま闘っていては最高裁でも勝てないのではないかという考えが頭をよぎったからです。やってもいないことで罰せられようとしている、そういう信じられないことがこの日本で現実に起こっているのです。

 

 康子さんは犯罪者ではありません。警察や検察が描いたシナリオに乗せられ、犯罪者にでっち上げられた被害者です。否認を最後まで貫き通した彼女に対して裁判所は反省を促しましたが、反省すべきは彼女をウソの供述へと誘導した警察・検察であり、真実に目を向けようとしない裁判所です。 司法への不信感は募るばかりです。

 冤罪は国家権力の暴走だと思います。やってもいない人間を罪に問うなど基本的人権も何もあったものではありません。彼女がこのような事態に巻き込まれて初めて知りました。 罪を犯していなくても、認めてしまった方がどれだけ楽な道のりであるかということを。新聞やTVでも冤罪事件は多く報じられていますが、もしかしたらそれらは実際に起きているもののごく一部、氷山の一角なのかもしれません。冤罪被害者の多くはやってもいない罪を認め、泣き寝入りをしてしまっているのかもしれません。それほどに冤罪の汚名を晴らす闘いは、タフなのです。

  

 このような事態となり康子さんやご家族は日々苦しみの中にあります。どうか公正な裁判が行われ、無罪判決を勝ち取ることができるよう応援してください。無罪判決が出たからと言って、失われたもの全てが元に戻るわけではありませんが、せめて一日も早く彼女の名誉が回復され、一家に明るい笑顔が戻ってくることを強く祈るばかりです。  

(2013.3.31 発起人 ノリ)